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最高裁判所第三小法廷 昭和30年(オ)509号 判決

長野県上伊那郡川島村大字横川字伊良沢八七一番地

上告人

小沢邦光

同所八八〇番地

上告人

中村禎一郎

同所八八三番地

上告人

小沢福松

同所八八五番地

上告人

小沢伊佐男

同所八九四番地

上告人

小沢正富

同所八九五番地

上告人

小沢貞一

同所九五〇番地

上告人

小沢義雄

同所九六二番地

上告人

小沢隆重

同所九六五番地

上告人

小沢増蔵

同所九七九番地

上告人

小沢今朝一

同所九八八番地

上告人

小沢今朝治

同所九九一番地

上告人

三浦昌勝

同所九九四番地

上告人

小沢今朝春

同所一〇〇一番地

上告人

三浦茂又

同所一〇〇二番地

上告人

小沢勇之進

右一五名訴訟代理人弁護士

日野寛

同所九四四番地

被上告人

矢ケ崎文吾

同所九六九番地

被上告人

小沢友十

同県同郡同村大字横川字木曾沢一三七五番地の二

被上告人

小沢彌蔵

右当事者間の配分金請求事件について、東京高等裁判所が昭和三〇年三月二八日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人日野寛の上告理由第一点について。

被上告人が所論合意の成立時期について、確定的な主張を為して居たことは、記録に顕われていないけれども、右合意の成立につき争いの存する以上、原審が証拠に基き右合意の為されたこと、その時期を認定してもこの点につき所論違法ありと為し難く、更に原判決の引用する第一審判決の挙示する関係証拠資料を綜合するときは、右時期が明治四三年頃であつたことを推認し得られないではないから、この点につき理由不備の違法もない。論旨は理由がない。

同第二点について。

原審認定の如き入会権行使一時停止の合意が、所論の如く直ちに入会権自体の存否に影響を及ぼすものとは考えられない。されば、原審が入会権の本質につき認定判断を省略したことを目して、所論違法ありとする本論旨はあたらない。

同第三点について。

原審は、係争の山林において部落民が立木を採取し或は補植する慣習の存した事実等を確定して居るのであるから、所論地盤の所有権帰属関係を判断しなければならない筋合でもなく、この点につき原審が乙三号証の一、二によつても右地盤が伊良沢部落民二〇名のみの共有に属することを認めるに足りない旨を判示し、それが部落有に属するか、部落民の共有に属するかを断定しなくとも、所論違法ありといえない。論旨は理由がない。

同第四点について。

原判決の引用する第一審判決の挙示する証拠資料、就中証人根橋幾三郎の証言に照すと、その認定にかかる所論新戸加盟に関する規約が成文のものでなかつたことを看取するに十分であり、右認定もその趣意にほかならなかつたものと認め得られるから、所論は結局その前提を欠き採用し得ない。

同第五点について。

前顕証人根橋幾三郎の証言を始めその挙示する証拠資料に徴するときは、原判決の引用する第一審判決の判示する立木採取等の慣習の存した事実を認め得られるのであり、これら事実関係の下においては、原審が係争の立木は上告人及び被上告人等の有する入会権の対象たる物件であつて、その共同所有に属するものであるとの被上告人等の主張と同旨の判断を為したことの相当であることを肯認し得られるのであつて、この点につき何等の違法もなく、論旨は理由がない。

同第六点について。

論旨は、原判決及びその引用した第一審判決に理由齟齬の違法があると主張するが、右判決は前説示のとおり成文でない新戸加盟の規約を認定し、上告人等主張に係る大正二年二月の規約の成立、所論乙二号証の一、二の成立をそれぞれ否定する趣意にほかならなかつたものであることがその判文上容易に看取し得られるから、この点につき所論違法なく、論旨は理由がない。

同第七点について。

論旨は、民法七〇三条の適用を争うけれども、原審認定にかかる事実関係の下においては、原審が被上告人等に不当利得返還請求権ありと判断したことの相当であることを肯認するに足るのであつて、この点に関する論旨は理由がない。

以上説示した点以外の論旨は、結局、すべて原判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の違背を主張するものと認められない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 垂水克己 裁判官 高橋潔)

昭和三〇年(オ)第五〇九号

上告人 小沢邦光

外一四名

被上告人 小沢彌蔵

外二名

上告代理人日野寛の上告理由

第一点 原判決には当事者が主張もせず、従つて立証もしなかつた事実を、証拠に依らないで認定し、且つ重要なる証拠につき判断を遺脱した違法がある。

一、原判決は、その理由において「当裁判所は、当審でなされた新たな証拠調を斟酌するも、左記の点を附加する外は、原判決説示と同一理由により、被控訴人等の本訴請求は原判決主文第一項表示の限度において、これを認容す可きものと判断する。従つて原判決理由(たゞし一を除く)に記載する事実の認定並に法律上の判断を、当裁判所の判決理由としてここに引用する」と判示した。

二、右判示中に云ふ「本訴請求」は、その根本的の原因が入会権であること、而かもその入会権は立木(用材となるような喬木)の伐採取得の権利を含むものであることは、訴状請求原因の記載並に原審第一回口頭弁論期日(昭和二九年六月一日)における被上告人(被控訴人)の陳述、其他一審、二審を通じて弁論の全趣旨に依り極めて明白である。即ち被上告人の本訴請求は立木の伐採取得の権利を含む入会権の存在が証明された場合に正当であると同時に、斯様な入会権の存在が証明されない場合に失当たることを免かれないのである。斯様な入会権の存否は本訴請求の当否を決定する核心的争点と云はねばならない。

三、而して被上告人は、本件原野は入会権の行使を制限停止して之に植林し自然の立木と共に保護育成し来りしもので、或る時期に達せば部落住民の総意を以て売却又はその他の方法で処分の住民平等に分配す可きものである、と主張するから(昭和二十八年六月一日附原告―被上告人―準備書面一枚目裏末行から二枚目表六行目まで、記録五二丁裏末行目以下)、被上告人主張の入会権の存否並にその内容は、入会権の実行を停止した以前に溯つてその停止しない時の状況に依り調査判断しなければならない道理である。蓋し被上告人の主張する入会権停止以後の措置は、共有権者の共有物件に対する普通の管理行為であつて(民法第二五二条)入会権の行使とは云い得ない。入会権は権利者たる一定地域の住民が各自入会地に入会つて産物を採取する権利であつて、斯様な権利の存否及びその内容は慣習に依つて定まるのであるから、斯様な慣習の存否及びその内容は、その慣習が実際に行はれていた当時の実情につき、審理調査しなけれは判断出来ないものと云はざるを得ないのである。

四、それ故上告人は第一審において、昭和二十八年六月二十日の口頭弁論期日に、右入会権停止の日時並にその停止の方法につき被上告人(原告)に質したるところ、被上告人は右時期方法は不明であると主張して之を明示しなかつた(記録五九丁表壱行目から六〇丁裏七行目まで、特に六〇丁表壱行目から同丁一〇行目まで)。即ち被上告人は此点に関して事実の主張をせず、従つて又立証もしなかつたのである。

被上告人の斯様な訴訟上の態度は、原審に至つても少しも変らなかつた。即ち、昭和二十九年十一月六日の口頭弁論期日において、被上告人(被控訴人)が採用陳述した同日附準備書面一枚目表第一項三行目から裏五行目までの記載にも、「本件山林は部落住民か秣、薪炭等を採取する入会地であつたが時期は判然しないが入会権者(伊良沢部落住民)の総意によつて入会権を停止し植林し従前の自然木と共に之を育成し将来入会権者の総意によつて伐採し平等に分配することに申合せが出来今日に至つたもので部落住民は入会権を解除又は放棄したものではない。現在も其まゝになつて居るので本件山林によつて入会権に依つて各自が林産物を採取することの出来ないのは当然である。然し或時期が到来すれば部落住民は総意を以て平等に現物なり或は之れを売却するなりして配分し得ることになるのである」とあつて、入会権行使の停止時期は判然しないと述べているのである。而してその後原審の審理を終るまで右停止時期につき何等の主張をもなさず、又何等の立証をもなさなかつたのである。期様な次第であるからその当然の結果として、被上告人の主張する入会権が如何なる時期に如何なる状況で、慣習として行はれていたか、それが如何なる方法で停止されたか判明しないのである。

五、然るに原判決は、冒頭記載の通り、事実の認定並に法律上の判断につき第一審判決のそれを引用すると判示しているから、被上告人がその時期につき判然しないと述べている入会権停止の時期に関し、第一審判決は如何なる判断を下しているかを検するに、第一審判決はその理由において、「云々本件山林については明治四十三年頃、入会権者の総意により入会権を一時停止し、自然林に、補植をなし相当年限育成した上伐採して、入会権者全員平等に分配す可きことを定めて現在に至つたものである事実を認めることが出来る」と判示しているのである。(記録三七三丁表六行目から同丁表九行目まで)

六、第一審判決の前示認定は、被上告人が訴訟の全過程を通じて未た曾て主張しなかつたことは、前来述べた通りであつて、第一審判決並に原判決は、何に基いて斯様な認定を下したか怪訝に耐えないところである。

明治四十一年中本件山林の立木を伐採売却し、之を部落民に分配したことのあることは、第一審証人根橋幾三郎の証言記載中に現はれているし(記録八六丁表三丁目から同丁裏壱行目まで)、第一審証人小沢義玄第一回証言記載、上告人本人(被告本人)小沢邦光、同中村禎一郎、同三浦千又の第一審各本人訊問の結果にも同様の事実が現はれているから、斯様な事実の有つたことは推認出来るであらう。第一審判決並に原判決は、右伐採後の植林や自然造林を捉へて、「明治四十三年頃入会権者の総意により入会権を一時停止し、自然林に補植をなし云々」と認定したかも知れない。若し然りとすれば明治四十一年当時の伐採売却並に代金の分配を何と説明するか。その取扱方法は明かに所有権の行使であつて、入会権の行使とは云い得ない。被上告人の主張する「入会権者の総意による入会権停止後の伐採」と仮定すれば、明治四十一年当時既に入会権は停止されていたことになる。当時入会権の行はれていなかつたことは、乙第四号証の一、二に依つても明らかである(之に関しては後説する)。斯様に考ふるとき、原判決に依りて引用された第一審判決前掲判示は、全く根拠なき妄断と云はざるを得ないのであるが、特に上告人の強調せんとするところは、原判決が被上告人の主張しない事実を認定したことである。

七、被上告人が、その主張する入会権停止の時期につき、それが何時であつたか判明しない、と述べたことは、第一審、第二審を通じて終始変らなかつた(前掲第四項所論参照)。若し被上告人が第一審判決の認定した通り明治四十三年頃を入会権停止の時期なりと考へたとしたならば、少なくとも原審においてその主張がなければならない訳である。上告人は原審第三回口頭弁論期日(昭和二十九年九月二十五日)において同日附準備書面に基き、第一審判決の右認定の失当を取上げて反駁し、当事者が主張もせず、其時期も判明しない、と述べているのに、裁判所が判決を以てその時期を認定した根拠を追究したのである(記録四三九丁表五行目以下)。若し被上告人が、第一審判決の認定したところと同一事実を主張する意図を持つていたならば、右口頭弁論期日に次ぐ第四回口頭弁論期日(昭和二十九年十一月六日)において、被上告人(被控訴人)が弁論に援用した同日附準備書面(記録四六五丁表四行目以下)の中にその旨が主張されなければならない訳である。ところがそれとは反対に、被上告人は、第一審同様に入会権停止の時期は判明しないと記載してあることは、前掲第四項に論述する通りである。

被上告人が斯様に第一審判決の有利なる認定にも係らず、之に同調せず入会権停止の時期不明を固執した理由は何に依るか、此点が重要である。入会権停止の時期は同時に之に先行する時期における入会権行使を意味するのである。入会権行使の事実がなければ被上告人の本訴請求は成立たないのである。ところが明治四十三年頃に先行する時期の実情としては、明治四十一年に本件山林の立木を伐採売却して部落住民に分配した事実が証明されている。茲に部落住民とは所謂旧戸の謂である。此立木の伐採売却は入会的収益の方法ではない。それが上告人の主張する共有権の行使であろうとも、将た又被上告人の主張する部落民の総意による伐採であらうとも、その収盛の方法が入会権に特有な各自が入会つて収益すると云ふ形態でないことは明瞭である。且又明治四十一年当時本件山林に、その立木を伐採売却して相当の金額を取得するに足る成木の有つたと云ふことは、その以前において右山林の生植物につき入会的収益の行はれていなかつたことを意味するものと云はねばならない。之を要するに明治四十三年頃を被上告人の主張する入会権停止の時期とすれば、その以前に本件山林には入会的慣習はなかつたのである。少くとも本件訴訟の全過程を通じて左様な慣習のあつたことを立証するに足る証拠は何もなかつたのである。被上告人が第一審判決の認定にも係らず、明治四十三年を入会権停止の時期とせず、入会権停止の時期は判明しないとの主張を終始変えなかつた理由は、右に依つて理解されるのである。

右の事実を更に確証するものに乙第四号証の一、二がある。同号証の記載を見ると、本件山林は明治二十五年三月現在既に入会的収益の対象で無かつたことが、明瞭に認められる。即ち、明治二十五年三月本件山林立木中雑木のみを入札の方法で競売に附したこと、栗、松その他は競売から除外し伐採を禁じ、除外木を伐取つたものに対しては罰金を科することにしたこと、右禁則に係らず除外木を盗伐したものが有つたから、更に禁則を強化し一木一草の採取をも禁じたこと、が窺はれるのである。原判決は本号証の成否並にその証拠力に関し何等明らかなる判断を下していないが、上告人は、原審第三回口頭弁論期日(昭和二十九年九月二十五日)において同日附準備書面を引用して右乙第四号証の一、二につき論述し、入会権停止と云う如き事実の存在しないことを主張したのである。本号証は入会権停止と云ふ如き事実の有無、有りとすれば其時期、停止前の入会的慣習の性質内容、特に採取物件の種類を、判断するに欠くことの出来ない証拠であるに拘らず、原判決が之を閑却したことは、重要な証拠に関する判断を遺脱したものである。

八、以上述ぶるところを綜合すれば、原判決は、上告人が之を争い、被上告人も主張しないところの、入会権停止の時期を明治四十三年頃と認定し、之と重要なる関係のある乙第四号証の一、二につき判断をしなかつたことは、当事者の主張しない事実を認定し、重要なる証拠に関する判断を遺脱したものとして、違法たるを免れないと信ずるのである。即ち民事訴訟法第百八十五条に違反するのである。

第二点 原判決は、共有の性質を有する入会権の本質を誤り、審理を尽さなかつた違法がある。

一、原判決は、其理由として第一審判決の事実の認定並に法律上の判断を引用し、なほ附加す可き点の第三として、

当裁判所の引用にかゝる原判決の認定によれば、本件山林は控訴人等主張の伊良沢部落民二十名のみの共有であつたのでなく、明治十三年以降伊良沢部落のみの入会山林として慣習により伊良沢部落民が入会い立木等の採取などの使用収益をしてきたものであつた事実を認定し、たゞしその地盤の所有権が伊良沢部落に属するか、同部落民に属するか、また共有の性質を有する入会権かどうかの判断は、しばらく措くとして、云々、並びに明治四十三年頃当時の入会権者の総意により、入会権を一時停止し自然林に補植をなし、相当年限育成した上伐採して、入会権者全員平等に分配すべきことを定めて現在に至つたものであることを、認定しているのであつて、入会権者たる部落民の総意によるかゝる協定は、本来の慣習による入会権の内容そのものを変更したものでなく、単にその行使方法についての協定に過きないから、地盤の所有権が部落に属するか、部落民に属するか、本件入会権が共有の性質を有する入会権かどうかの判定を俟つまでもなく、かような総意による協定は少くとも当事者間に有效として拘束力を有すべく、この協定の実施により入会権の行使が一時停止せられても、慣習による入会権が廃絶すると云ふことはできないから、この点に関する控訴人等の主張は理由がない」と判示した。

二、右判示は、上告人が原審に提出して口頭弁論期日に述べた昭和二十九年十二月九日附準備書面第一項(記録四六九丁裏五行目以下)の主張を誤解したものであり、且共有の性質を有する入会権の本質を誤つた結果に外ならない。右準備書面第一項の主張の要旨は、被上告人が昭和二十九年十一月六日附準備書面(記録四六五丁表七行目以下)の記載に基き、本件山林は本来部落民が秣、薪炭等を採取する入会地であつたが、時期は判明しないが部落民の総意で入会的採取を停止し之を造林し、適当の時期に伐採して分配することを決定したと、主張したるに対し、左様な行為は入会権者としては許されないところで、共有権者にして始めてなし得るところである、それは伊良沢部落民である上告人等が所有権者としてなし得るところであると主張したのである。

三、蓋し、上告人の解するところによれば、共有の性質を有する入会権は必らず地盤の所有を伴ふものであり、地盤の所有が伴はなければ共有の性質を有する入会権はないのである(大正七年(オ)第三〇九号同九年六月二六日聯合部判決)。入会権は共有の性質を有すると否とに係らず従来の慣習によりて覊束され従来の慣習に反する方法により従来の慣習に反する収益の出来ないことは、民法第二六三条、同第二九四条に依つて明らかである。それ故従来秣、薪炭を採取していたものが、如何にその総意に依ると雖も、之を一時停止し右地盤の上に新に造林して成木を伐採取得すると云ふ如きことのなし得ないことは勿論と云ふべきである。

上告人は此点を指摘して本件山林につきその産物の採取を停止し造林をなし、一定の時期に至るまで一切の樹木の採取を禁じたのは、所有権の作用として之をなしたもので、入会権の変形的行使ではない、入会権の行使は山林の斯様な経営とは両立しないから、仮りに往昔行はれていたとしても、その停止に依り廃絶したものである、と主張したのである。

四、共有の性質を有する入会権は、同時に地盤の所有を伴ふこと前述の通りであるから、入会権の行使を停止しても、地盤の所有権の効果として之に植林し育成し或る時期に伐採処分をなし得るは当然である。之に反し共有の性質を有しない入会権は、地盤の所有権が無いから、入会権を停止すれはその停止期間中収益は出来ない訳である。停止を解除しても停止前と同様の内容の収益以上の権利行使は出来ないから、本件の場合においては仮りに被上告人の主張する入会権が有つたとしても、それは被上告人の認むる秣、薪炭の採取が出来るのみで立木の採取は出来ない訳である。斯様に考へると被上告人の主張する入会権が共有の性質を有する入会権か、然らざるか、入会権者が同時に地盤の所有権者か然らざるかに依つて、本件争訟の結果に重大なる影響のあることが判明するのである。即ち、入会権が共有の性質を有する入会権ならば、入会権の行使を停止する旨の協定は、入会権者としての合意であるが、この合意は、一方において共有権者として地盤の使用収益を妨ぐるものでないから、被上告人の主張する自然林の補植、相当年限後の伐採は、共有権者としての管理処分に外ならない(昭和三年(オ)第五八一号同年十二月二四日第一民事部判決)。若し入会権が共有の性質を有しない入会権であるならば、入会権の行使を停止すれば、地盤の所有者のみがその管理収益権を有するのであるから、入会権者がその土地に生植する成木を伐採処分し得る権利の生ずる理由はない訳である。

五、以上陳ぶる通りであるに係らず、原判決が、被上告人の主張する入会権が、共有の性質を有する入会権であるか否か、地盤の所有権が部落に属するか、部落民に属するかを判断しないで、本件山林の立木を伐採して取得した収益に対し、入会権に基き配分する権利ありとなしたるは、共有の性質を有する入会権の本質を誤り、審理を尽さなかつた違法があると信ずる。結局民事訴訟法第三百九十五条第一項第六号に規定する理由不備と云ふ可きである。

第三点 原判決は、当事者の主張及び証拠の全部につき判断せず、その一部のみに局限して判断したため、審理不尽、理由不備に陥つたものである。

一、原判決は、第一審判決理由を引用して、之と同様の理由に依り同一事実を認定すると判示し、更に附加す可き点の第一として、

控訴人等は、本件山林は控訴人等主張の如き入会山林でなく、明治十三年頃当時の伊良沢部落民二十名が、同人等及び木曾沢部落民二十一名の共有であつたのを、後者の持分を譲受け、爾後伊良沢部落民二十名の共有山林となつたものである旨主張し、その点に関する最も有力な証拠として、乙第三号証の一、二を提出援用しているが、仮りに同号証の成立を認め得るとしても、成立に争のない甲第一号証によれば、本件山林は現に土地台帳上伊良沢部落所有として登載されて居り、その他原判決が本件入会権の存否に関する事実の認定に際し引用しているすべての証拠と対比して考ふるときは、本件山林が同号証の二の買受連名簿に記載してある二十名のみの共有に属するとは、遽かに断じ難いところである

と判示した。

二、乍併上告人は、原審において乙第三号証の一、二を以てのみ本件山林が、上告人等の共有であると主張したのでなく、明治初年より現在に至るまで、常に上告人等の共有として取扱つて来たと主張し、その証拠的事実として、本件山林は勿論、その他上告人が上告人等の共有として主張し、被上告人が部落有として主張する山林につき、旧町村制第一二四条以下の規定及び地方自治法第二九四条以下の規定に依る取扱のなされなかつたことを挙げたのである。即ち昭和二十八年十月六日の第一審裁判所の口頭弁論期日に被告(上告人)の引用陳述した昭和二十八年八月三十一日附被告準備書面第二項(記録一六三丁裏八行目以下)、昭和三十年二月十八日の原審口頭弁論期日に控訴人の引用陳述した控訴人準備書面第三項(記録四九八丁表九行目以下)記載に基き、本件山林の管理処分は上告人等が共同して之を行い、未た曾て部落有として町村制第一二四条、地方自治法第二九四条に則つて管理処分したことのない事実を挙けたのである。

三、旧徳川幕府の頃より明治初年に至る間における我国の村又は部落の所有物は同時に住民の共有物であつた。此時代には部落有と部落住民共有とが分化せず同一義になつていたのである。後に至つてその或るものは部落有として町村制一二四条に依り町村有財産に準じて管理処分せしめ、その他のものは町村住民の共有として住民の共同管理処分に委ねて来たのである(昭和三年(オ)第五八一号同年一二月二四日民事一部判決)。本件山林につき未だ曾て川島村長が管理処分した事実なく常に部落住民中所謂旧戸の管理処分に委ねられて来たことは、弁論の全趣旨において被上告人の明らかに争はないところである。然るに原判決は此重要な事実に関しては何等審理判断することなく、単に甲第一号証の土地台帳の所有者名義が伊良沢部落所有と記載されている一事を以て、部落有と断定したことは、審理を尽さず理由不備として、民事訴訟法第三九五条第一項第六号の法令違背たるを免かれないと信ずる。

第四点 原判決には、理由不備か然らざれば理由齟齬の違法がある。

一、原判決は、其引用した第一審判決に附加す可きものの第二として、

云々右乙第二号証の一の作成経過及び前記共有分割の有無に関する当裁判所の判断も、原判決のそれ(九枚目記載第三七四丁第一行目から九行目まで)と見解を同じくするものであつて、右乙第二号証の一の記載を取上げて、右控訴人等主張事実を肯定する資料とはなし難いものである

と判示した。

又原判決に依つて引用された第一審判決は、その理由中被上告人等新戸のものの加盟につき

云々同年頃より分家して新戸を創立するものを生したため、それまでの入会権者であつた所謂旧戸のものは、新戸の者を入会に加盟せしめるについては規約を定める必要を感じ、その頃旧戸の総意を以て、同部落内に事実上新戸を創立したものは一定の加盟金を納め、かつ入会権者である全戸主を招いで加盟披露をなし、加盟の承認を得ること、加盟承認を得た者は旧戸と同等の入会権を取得することの規定を定めた事実、云々の事実を認めることができる(第一審判決七枚目裏八行目から十枚目表九行目まで)

と判示した。

右第一審判決に云ふ「規約を定めた」の規約は何れに存するか、全記録を通じて乙第二号証の一以外にはないのである。それ故被上告人は訴状請求原因第二項において規約と云はずに慣習と云ふている。而かもこの慣習の起源は第一審判決も認めている如く、明治四十一、二年以後のことである。今日においてこそ慣習であるがその起源当時は規約であつた。此規約が乙第二号証の一である。此関係を詳論したものが第一審裁判所へ提出した上告人(被告)の昭和二十八年十一月十日附準備書面五枚目表四行目(記録三一六丁表四行目)以下七枚目表十一行目記載の所論である。第一審判決の判示は乙第二号証の一を排斥しながらも其趣旨においては右準備書面の所論と同調しているのである。而かも乙第二号証の一を否定して、別に規約の存在を認定しながらその規約は記録の全部を通じて存じないとすれば、理由不備か理由の齟齬と云はざるを得ないのである。原判決においても、単に第一審判決を引用するのみであつて、その所謂規約の所在内容を明らかにしないのは、理由不備を免かれない。

第五点 原判決は証拠に依らないて事実を認定した違法がある。

一、被上告人の本訴請求は立木(成長したる喬木)の伐採取得を含む入会権を原因とするものであることは、第一点第二項に述ぶる通りである。然らば原判決が被上告人の本訴請求を認容し、上告人に対して配分金の給付を命ずるには、先づ以て被上告人の主張する如き入会権の存在を立証するに足る証拠を挙示しなければならない。斯様な証拠を挙止しないで入会権の存在を認定したならば、それは証拠に依らないで事実の認定をしたことに該当するのである。原判決は正に此違法を敢へてなしたものである。

二、昭和二十九年六月一日の原審第一回口頭弁論期日において、被上告人(被控訴人)は

本件は被控訴人を含む十二名の者が本件土地(公簿上一反歩、実測面積はそれより広い土地)に入会権を有し、その入会権の内容として地上に植栽した樹木も伐採取得の権利をもつている。被控訴人はその入会権者であることを主張し控訴人等の不当利得した金額の返還を求めるのである

と述べた(記録三九九丁表八行目から同丁裏三行目まで)。之に対し上告人(控訴人)は

被控訴人主張中植栽した樹木を控訴人等において伐採し八拾七万円で売却した事実は認めるが、右の土地にその主張の如き入会権を有する事実は否認する。又仮定的に入会権を被控訴人が有するとするも植栽樹木伐採の権利の如き同地方の慣習には入つてといない

と述べたのである。(記録四〇〇丁表壱行目から同丁同八行目まで)

右に対し被上告人は立証準備のため続行を求め、原審の全過程を通じ証人降旗正人及び被控訴本人小沢友十の訊問が行はれたが、降旗正人の証言は、同人の居住部落及び所謂「大共有」に関するもので、本件係争の幸四郎沢に関しては知らない、と述べているし、被控訴本人小沢友十の供述中にも、被上告人の主張する如き入会権、即ち、植栽した樹木を部落民各自が直接伐採取得出来ると云ふ如き慣習のあつたことを、認むるに足る供述はないのである。

三、右の如き次第で、原審における証拠調の結果においては、被上告人主張の入会権の立証されなかつたことは明らかである。原判決も、第一審判決に附加す可きものとして判示した三点中その何れにおいても右入会権の立証に関し判示していないのである。然りとするならば原判決が、本件請求の根本原因たる樹木の伐採取得を含む入会権の存在を認定した証拠は、全部第一審判決の挙示したものに拠つたことになるのである。原審第一回口頭弁論期日において特に被上告人(被控訴人)の請求原因たる入会権の内容を釈明させ、被上告人の立証準備のため期日を続行し、立証の結果何等得るところなくして、なほ且つ被上告人の本訴請求が認容せられたことは、上告人として納得致し兼ねるのである。而して第一審判決挙示の証拠中には、原判決認定の入会権を立証するに足る証拠のないことは次に述ぶる通りである。

四、右の点につき上告人は、原審昭和二十九年九月二十五日の口頭弁論期日に同日附準備書面を提出して、第一審判決の事実の認定が証拠に基かないことを陳述した。右準備書面の記載は、第一審判決が被上告人主張の入会権の存在を認定した証拠として挙示したものにつき、その一つ〓をあげて之に論評を加へ、被上告人が主張する如き立木の伐採取得の権利を含む入会慣習の存在を内容とする証拠のないことを論述しているのである。原判決が第一審判決の挙示した証拠に依りて第一審判決と同一事実を認定するならば、少く共、右準備書面において上告人が論述した証拠欠如の主張に対し、之を採用せざる理由を明らかにす可きである。原審第一回の口頭弁論期日において、被上告人がその主張する如き入会権の存在を立証するため続行期日の指定を求めたのは、畢竟するに第一審における証拠では充分でないと考えたからと云はねばならない。原審裁判所が之を許容したのも同一理由によるものでなければならない。此見解(第一審証拠の足らないこと)の正しいことは前記準備書面の記載に徴して明らかである。然るに原審における証拠調の結果が何等稗益するところなかつたに係らず、原判決が第一審判決の事実の認定と法律上の判断を引用して被上告人の主張を認容する理由としたことは何としても上告人の承服出来ないところである。従つて上告人としては再び前記準備書面の所論を繰り返へし、原判決が証拠に拠らないで立木の伐採取得の権利を含む入会権の存在を認定した違法を主張するの外はないのである。依つて茲に昭和二十九年九月二十五日附控訴人準備書面第一項全文を引用して本上告の理由とする。(記録四三四丁裏四行目から四三九丁表四行目まで)

五、民事訴訟法が、事実認定の基礎として証拠を必要としたのは、証拠の外形ではなくしてその内容である。第一審判決が挙示した証拠それ自体は存在するが、その内容をなすものは判決が認定した事実に照応しないのである。即ち、右証拠は書証と人証であるが、書証の内容をなす記載中、係争山林において部落民が樹木を伐採取得した慣習の存在に関する記載はない。又証人の証言又は当事者本人の訊問の結果中、同様の慣習が行はれたと述べているものは一人もない。斯様な証拠に依つて何故本訴請求の基本的原因をなす、立木の伐採取得の権利を含む入会権の存在を認定したか理解に苦しむのである。

六、被上告人は、昭和二十九年十一月六日の原審口頭弁論期日において、同日附準備書面に基き陳述したが、右準備書面第一項において、

控訴人は原審判決は証拠に拠らないで被控訴人主張の事実を認定したと非難するのであるが、被控訴人は原審において主張した通りで本件山林は本来は部落住民が秣、薪炭等を採取する入会地であつたが、時期は判然しないが入会権者(伊良沢部落住民)の総意に依つて入会を一時停止し植林し従前の自然木と共に之を育成し将来入会権者の総意によつて伐採し、平等に分配することに申合せが出来今日に至つたもので、部落住民は入会権を解除又は放棄したものではない。現在もそのまゝになつて居るので、本件山林より入会権に依つて各自が林産物を採取することの出来ないのは当然である。然し或る時期が到来すれば部落住民は総意を以て平等に現物なり或は之を売却するなりして配分し得ることになるのである(記録四六五丁表六行目から同丁裏五行目まで)

と述べている。

右記載に明らである通り、被上告人の主張する入会権の内容は、秣、薪炭であつて立木(木材用成木)に及んでいないことは、被上告人自ら之を認めているのである。

又被上告人は、昭和二十九年十二月十日附準備書面(同年同月十八日口頭弁論に於て陳述)第一項において、共有の性質を有する入会権にあつては、その権利行使其他に何等の制限を受けないものであると主張している(記録四七八丁表末行目から四七九丁表壱行目まで)。之は共有の性質を有する入会権者が常に同時に共有権者であるため、入会権者としての権能と共有権者としての権能とを混同した議論であるが(第二点所論参照)、それは兎も角として、被上告人は前陳の如く、一方においては、被上告人の主張する入会権行使の慣習は秣、薪炭の採取であることを認めながら、他の一方においては、その入会権は共有の性質を有する入会権(被上告人は地盤の所有権者は部落であると云うから寧ろ共有の性質を有せざる入会権)であるから無制限の権能を有すると主張するため、斯様な立却地に有つては建築用材になる様な立木採取の慣習を立証する必要はないとの立場を取つていたのである。之が本件訴訟を通じて、被上告人が右様の立証をしなかつた理由である。

七、原判決が、その事実の認定、法律上の判断として引用した第一審判決は、被上告人の右様の見解に基く立証の懈怠からする証拠の不存在を、之れある如く判示して、事実を認定した違法を冒したものと云はなければならない。従つて第一審判決を踏襲した原判決も亦た違法にして、民事訴訟法第一八五条、同第一八六条に背反したものと云う可きである。

第六点 原判決は、上告人の主張する事実を誤解し、従つて当事者の主張しない事実に基いて裁判をなした違法がある。且又判決理由に齟齬がある。

一、原判決が、其理由として引用した、第一審判決の事実の認定に依れば、

云々、又原告等が新戸創立者であること及新戸創立前共有分割がなかりせば、原告等も共有加盟者たるべきことは、被告等の争はないところであるので、本件山林が原告等主張の入会山林であつても、又被告等主張の共有山林であつたとしても、原告等新戸の加盟前に於て、本件山林の分割があつたかどうかが本件の主たる争点となるのであるが、云々、之に関し被告千又の先代三浦又次郎の手により乙第二号証の一が書かれたが、権利者全員の承諾調印を得るに至らず、今日に至つたものである事実を認めることができる

と判示した。(記録三七三丁裏九行目から三七四丁表九行目まで)

右判示に依つて明らかである如く、原判決が、被上告人の本訴請求を認容した主たる根拠は、本件山林が新戸の加盟前に分割されなかつたと認定したからである。而して原判決が本件山林の不分割を以て、被上告人の本訴請求の根拠としたのは、新戸創立前分割がなければ被上告人も共有加盟者たるべきものとの事実を上告人も争はないとしたからである。原判決の斯様な事実の認定並に当事者の主張の把握には上告人として大に異論のあるところである。

二、右判示中、「新戸創立前共有分割がなかりせば、原告等も共有権加盟者たるべきことは、被告等の争はないところであるので」とあるのは、乙第二号証の一の規約の内容として上告人の主張したところで、乙第二号証の一の規約を離れて右判示の如き事実を主張したのではない。此ことは第一審裁判所へ提出した昭和二十八年八月三十一日附準備書面(昭和二十八年十月六日口頭弁論期日に於て陳述)第四項中段並に後段及び第五項に詳述してあるし、昭和二十八年十一月十日附準備書面(同日口頭弁論期日に於て陳述)第一項後段に於て陳べている。而してその要旨は、本件山林は上告人等の共有であるが伊良沢部落に新戸を生するに至つたから上告人の共有権に新戸を加盟させることを考へ、大正二年頃乙第二号証の一の規約を定め、之に依つて共有に加盟させたのである。而して之は上告人等共有権者がその権利に基いてなすものであるから新戸を加えす上告人のみの規約である。此規約に基いて共有加盟か行はれたのであるが、若し乙第二号証の一の規約の成立を否定するならば、共有権加盟の問題は根本から崩壊すると云ふのが、上告人(第一審被告)の主張であつたのである。(記録一六六丁裏五行目から一六八丁裏八行目まで、三一六丁表四行目から三一八丁表十一行目まで。)

右準備書面の記載にある通り、上告人等の共有権に被上告人等を加盟せしめたのは乙第二号証の一の規約に依つたものであるから、乙第二号証の一の規約を否定して、共有権加盟のみを認めようとする第一審判決の前示判示は、上告人の主張する事実を誤解し、従つて、当事者の主張しない事実に基いて裁判をなした違法を免かれない。且又、判決理由に齟齬あるものと云はねばならない。

三、原判決が引用した第一審判決の前示判示に依れば、本訴請求の主たる争点は、入会権の有無又は内容でなくして、本件山林が分割されたか否かにありとなすから、之は明らかに当事者の主張しない事実に依つて、裁判するものである。被上告人の本訴請求が木材用立木の採取を含む入会権を原因とすることは、第一点第二項に述べた通りである。然るに第一審判決は前示判示中において、本件山林が入会山林であつても将又共有山林であつても、究極するところ分割の有無に依つて争は決定せられる、と云ふ趣旨を明らかにしている。換言すれば被上告人の主張する入会権の存在が認定されなくとも、本件山林が分割されなかつたならば、被上告人の本訴請求は容認す可きものと判定したものと云い得るのである。是は明らかに当事者の主張しない事実に依つて裁判をなしたものと云はなければならない。

四、右の結果として、上告人が主張する通り、本件山林が部落有でなくして部落民有であり、被上告人の主張する如き入会権は存在せず、その入会権と主張したものが共有権であつたとしても、被上告人の加盟前に分割されなかつたならば、被上告人の本訴請求は認容す可きものとの心証を形成し、この心証に基き本件判決がなされたものと考へられるのである。たゞ之を判決理由に明示せず、一応は被上告人の主張する立木の採取権を含む入会権を認め、所有権につきて第一審判決は之につきての判断は暫らく措くとしたが原判決は部落有と断定したけれども、何れも証拠理由において違法であることは、第三点並に第五点に述べた通りである。本訴請求は、あくまで立木の採取を含む入会権の有無に依つてのみ判定されなければならないのである。而して之が判定をなすに当りては、被上告人の所謂入会権停止の時期を確定せしめ、その停止せざる時期における地方慣習を調査して入会権の存否内容を審理し、初めて本訴請求の許否を決す可きである。然るに原判決は、被上告人がその時期は判明せずと述べておるに係らず、独断的にその時期を定め、その時期以前その慣習の行はれた証拠なきに係らず、入会権の存在を認めたのは、裁判所が恣に争点を移動させて、当事者の主張しない事実に基いて裁判した違法を免かれないと信ずる。

第七点 原判決は法令の解釈適用を誤りたる違法がある。

一、原判決が、本訴請求を認容したのは、被上告人等の不当利得の返還請求権を認めたためである。不当利得とは法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受くることであることは、民法第七〇三条の規定するところである。上告人等が本件山林を伐採したのは上告人等が自己の所有に係はる山林立木を伐採したので、決して他人の財産に因り利益を受けたものとは云い得ないのである。被上告人が之を不当利得と云はんとするならば、被上告人もまた右山林の共有権者であることを主張しなければならない。然るに被上告人は弁論の全趣旨を通じて自ら共有権者であることを主張したことなく、却つて本件山林は伊良沢部落の所有であると主張し、上告人等の共有権をも否認しているのであるから、此意義における不当利得は有り得ない訳である。(昭和二十八年十二月八日被告準備書面第三項、第四項参照。)

二、被上告人は本件山林は伊良沢部落の所有であると主張し、且つ上告人、被上告人の何れもが入会権を有するが現在その行使の停止中であると主張するから、仮りに之を然りとするも尚ほ且つ、上告人等の本件山林伐採は、被上告人等の財産に依り利益を得たとは云い得ないものである。何となれば上告人等の得たる利益は伊良沢部落の所有する本件山林に因り得たるもので、右山林が被上告人等の所有でないことは、被上告人自身の主張であるからである。

三、被上告人は、本件山林それ自体は部落の所有であるが、被上告人等はその上に入会権を有しているから、之も一種の財産であると云ふかも知れないが、右入会権は被上告人の主張自体からして停止中であるから、その状態においては財産とは云い得ないのである。何となれば入会権は、之を行使して権利者自ら収益してこそ財産と云い得るが、行使を停止されている場合何等経済上の価値はないので財産とは云い難いのである。(大正六年(オ)第八五五号同七年三月九日第三民事部判決参照)

四、被上告人は、本件山林においては、入会権を一時停止し自然林に補植をなし、相当年限育成した上伐採して、入会権者平等に分配すべきことを定めて現在に至つた、と主張するから、その意味で育成された立木は上告人、被上告人の財産であると云ふかも知れないが、之は入会権に関する法理を誤つた見解である。被上告人は本件山林は部落の所有であると主張するから、その意義で被上告人の主張する入会権は共有の性質を有しない入会権である。又被上告人は昭和二十九年十一月六日附準備書面(同日口頭弁論期日において陳述)第一項で「云々本件山林は本来は部落住民が秣、薪炭等を採取する入会地であつた」と主張しているから、たとへ部落住民が入会を停止し自然林に補植をなし、相当年限を経過し成木としたとしても それ等の立木が部落民の所有になる筈はないのである。部落住民と部落とが契約をなし、部落住民が部落から右山林の地盤を借地し、林業を経営したと云ふならば格別、斯様な借地契約なくして、単に秣、薪炭の採取を内容とする入会権者が、地盤の所有権者の同意を得ず、一方的(たとへ入会権者の総意であつても一方的決意である)入会を停止し、自然林に補植をなし、造林したとしても、それは権限なきものの行為として許されないところである。従つて之により造林された山林の所有権は、地盤の所有権者たる部落に帰属し、部落民には帰属しないのである。果して然らば上告人等が右山林を伐採したからと云ふて、被上告人の財産に因り利益を得たものでないから、被上告人等から不当利得の返還請求を受く可き謂れはない訳である。原判決が被上告人にその請求する不当利得返還請求の権利ありとなしたるは、入会に関する法理を誤解し、民法第七〇三条の規定を不当に適用したものである。 以上

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